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2017年

平成二十五年十二月二十日、ベートーベンの第九交響曲を聞いて東京芸術劇場

「自然」にできないことを「人間」は、成し遂げた。「何でもありだ」。全員がそれぞれ「主役」になっており、「脇役」になっている。飽きない。美しい。そして最高の音楽を追及する。すべての楽器が主役になり、すべての楽器が脇役になる。計算されて,構成され、ひとつになる。

指揮者が演奏家に目で向かっていく。演奏家が、それを目で返す。バイオリンは、指揮者と演奏家が目と目を合わせて演奏する。すべての楽器とそれぞれのパートごとにおこなうので,誰が「主役」おのsで,誰が「脇役」かはっきりわかった。四人の歌手の役割も初めて理解できた。なぜ四人いるのか。それは独りで歌う独唱の美しさと四人の歌がハモったときの音の重みを表現している。

その時、大がつしょう団は、小さな声で聞こえた。kし

トルコより帰る

トルコより帰る

「自然界」は,「何でもあり」だった。

だから,「人間界」も「何でもあり」だ。

人間界の中に自然界があるのではなく,自然界の中に人間界があるからだ。

自然に対しハトはハトらしく,カラスはカラスらしく、猫は猫らしく,犬は犬らしく

そして人間は人間らしく生きるのだ。

この「らしく」というものは、なんだろうか。

「努力し、みがきあげたもの」それぞれが「努力し、みがきあげたもの」

旅は道ずれ,世はなさけ

捨てる神あれば、拾う神あり。

旅の恥はかき捨て。

旅には、感動がある。

旅は友だちができる。

年齢とともに体力の衰えを感じる。

人間は足だ。人間は鍛錬だ。人間は,年をとったら足だ。頭ではない。